故 倉持日出雄(初代横浜救急救命士会会長)氏 執筆文抄

1 日本初の救急車

 昭和8年3月13日、1929年今から71年前に、全国で初めて横浜市に救急車が配置されました。当時は神奈川県警察部山下消防署と言って警察組織の中に消防がありました。

 最初に配置された救急車はアメリカ製のキャディラックで、8気筒32馬力、最高時速40Km、当時、交通の主力は荷車や馬車、自転車であり、時速40Kmで走行する救急車は市民の目にどんな風に映ったのでしょうか。このような記事が載っています。

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 「交通事故水火震災其ノ他ノ災害二因ル傷病者ニシテ應急救護施設ノ缺陥二基キ遂二貴重ナル人命ヲ損傷スル事例尠カラザルニ依り昭和八年三月救急自動車一輌ヲ備へ山下消防署二配置シ無料ヲ以テ傷病者ノ救護二従事セシメツツ、アリ而シテ實施以来着々成績ヲ擧ゲツ、アリ横濱市内ハ無論隣接町村二在リテモ廣ク之ガ利用ヲ希望ス」と記されておりこの時から救急車は「無料」で活動していたわけです。


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 又、当時の新聞には「日本で最初の救急自動車十日頃から本式に活動」、「電話一本で直ぐに飛出す救急自動車貧困者には何よりの福音、いよいよけふから活躍開始」、「119番の電話が鳴れば直ぐ飛出す救急自動車、予行演習は好成績」更に、「救急自動車最初の出動活躍」相川警察部長御自慢の救急車がきのふ(十五日)初めて出動した。「事件は別掲神奈川の女中斬り事件で山下消防署に待機中の救急車が電話報告に接するや否や吉野隊長指揮の下に直ちに現場に急行被害者を収容手當を加え青木町病院に収容したがその手際は専門医そこのけの有様であつた。」


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 新聞が連日のように大々的に取り上げ、救急車に寄せる期待は並々ならぬものが在ったことが伺われます。


2 救急の装備

(1)救急車

                      
 救急車は車体全長5.3メートル、幅1.9メートル、高さ2.3メートル、色は白地に赤線を一本入れ、全面に「救急車」の三文字を表示し、サイレン1個を備え、内部は患者用寝台1、担架3で、寝て4人、座って8人収容。と記録にありますので、寝て4人と言うのは現在の高規格救急車より重症患者搬送に適していたことでしょうか。

(2)医療器具類

 止血管、止血帯、包帯鋏、噴霧器、消毒ガーゼ罐、体温計、皮下注射器、指頭消毒器、指サック、雑嚢。
        
 滅菌カムフル液、メンソール酒、葡萄酒、絆創膏、亜鉛革ラナリングリセリン、健胃錠、アスピリン錠、硼酸錠、酒精、沃丁、オキシフル、クレゾウル石鹸、液沃製不炭酸、硼酸軟膏。

 三角巾等、巻軸帯、昇汞水ガーゼ、脱脂綿、綿、桐油紙、副木,呉氏副木、上肢副木、下肢副木。

氷枕、氷嚢、尿器、便器。

 以上のような救急医薬品類が積載されており、カンフル注射などは実際に行われていました。

 昭和33年6月9日、厚生省医務課長から、各都道府県知事に当てた(医発 第四百八十号の-)「消防職員が患者に対して行う救急処置について」消防署職員が、 患者を病院に輸送するに際してカンフル皮下注射を行い、(以下略、救急・救助六法 より)とあり実際にカンフル剤を使用していたことを示しています。現在の救急救命士は特定行為の中で、静脈路確保のための輸液として、乳酸加リンゲル液を使用しています。

 昭和7年、神奈川県内の自動車保有台数は4,259台で同年の自動車事故は(同年11月末迄の統計)1,513件、負傷者1,214人であり、自然災害、工場等における事故のため死亡した人は290人、負傷者は417人となっており、その9割が横浜と川崎で発生したと記されています。 
 横浜市内では救急指定病院が16病院決められており、救急自動車設置について次の通知が発せられた。


3 救急規程

(1)昭和8年4月8日、八保発第三八号、救急自動車に関する件、
  「天変地変火災交通事故等発生セル場合二於テ、救急処置遅延セルガタメ専キ人命ヲ不具廃疾二到シタル事例尠シトセザルニ鑑ミ、今般当庁二於テ救急自動車ヲ設備候条、左記二依り救急上遺憾ナキヲ期セラレ度此ノ段及通牒候也。」
  つまり、自然災害、火災、交通事故等発生した場合救急処置が遅れたがために尊い人命を失ったりする事例を少なくするために、救急車を配置するので遺憾なきよう。と言う趣旨である。

(2)交通法令では、救急車ノ進行ヲ知リタルトキハ(サイレン)交通ヲ整理シ其ノ進行ノ円滑ヲ計ルコト。とし、新しい事なのでこの事をまだ理解しない人が多いときは公衆に対して周知方法を講ずること。と一条文を設けている。

(3)自動車取締令施行細則第二三条「消防自動車又ハ救急自動車二対シテハ避譲スベシ」とうたっており、現在の様に優先通行を明記しています。

(4)救急車の出場基準は次の通り。
 -,特殊建築物及其ノ附近火災ノトキ
 二,火災拡大ノ虞アリト認メタルトキ
 三,警察官吏、消防官吏ノ請求アリタルトキ
 四,民衆ノ通報二依り必要アリト認メタルトキ                 
 五,其ノ他災害ノ状況二依り必要アリト認メタルトキ

  傷病者応急救護規程の第三条、四条に次のような規程がありますので参考までに掲載します。

(5)傷病者救護規程
  「第三条、救護隊長ハ山下消防署長ヲ以テ之二充ツ、救護隊長は上司ノ命承ケ救護事     務ヲ掌リ,部下ノ職員ヲ指揮監督ス第四条,警察部ニ救護員ヲ置キ巡査又ハ消防手ヲ以テ之二充ツ、救護員ハ上司ノ命ヲ承ケ救護事務二従事ス」

ここで上記の条文を見ていただくとおわかりのとおり、警察部の中に消防部があり、階級も現在の消防士が消防手になっている事に注目していただきたい。この階級は自治体消防になるまで続いていたようです。


4 全国の救急車

 消防機関が行う救急活動は、横浜市が全国に先駆けて行っていますが、この翌年、昭和9年には愛知県警察部、名古屋市で活動が始まり、昭和11年1月警視庁消防部が6台の救急車で、同年8月には京都で救急業務を開始した。更に昭和17年金沢市、19年和歌山市、21年立川市、昭和市、国立市,昭和22年八王子市の10市町が救急業務を開始したにすぎない。


5 消防組織法

 昭和22年12月23日、消防組織法が成立し、翌年3月7日(法律第二二六号)が施行され自治体消防が発足しました。

 ここに横浜市消防局が誕生し、警察から引き継いだ消防車両等は、8署、19出張所、消防車82台、救急車2台、消防艇4隻であり、いずれも戦争で酷使された車両のため老朽車が多く機能も著しく低下していた。と先輩達の苦労話を聞いた記憶がある。

 しかし、消防組織法が施行されても、救急に関する規程は特になく,あえて言うなれ ば第一条の「災害に因る被害を軽減すること」及び地方自治法で「住民及び滞在者の安全健康及び福祉を保持すること」「罹災者の救護及び未成年者、生活困窮者、病人、老衰者、寡婦、身体障害者、浮浪者、精神異常者、酩酊者等を救助し、援護し若しくは看護し、又は更正させること」とある。


6 横浜市の救護規程

 横浜市では、昭和23年4月22日、横浜市規則第十三号で「傷病者応急救護規則」を次のように定めている。

第一条 水火風震災、交通事故等非常事態の発生及び一般急病者その他応急救護を要する市民の応急手当並びに搬送の事務に従事させるため消防署に救護隊を置く。

第二条 救護隊の名称、位置並びに管轄区域は附表の通りとする。
   前項に定める管轄区域に拘らず消防局長が必要と認めるとき又は隣接市町村から応援の要請が合った場合救護隊を区域外に出動させることができる。
 としており、急病人の搬送、応援出場も規定している。消防法で急病人取り扱いについて法律的に明記したのは昭和61年のことで、横浜市では38年前から規定されていたわけです。



7 戦争と消防

 昭和20年5月29日横浜市は大空襲に見まわれました。市内中心部は焼失し、市内の被害は46%にのぼり人的被害は次のとおり。

(1)死 者 3,650名                           
(2)重傷者 1,656名
(3)軽傷者 8,542名                     
(4)行方不明 309名


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 傷者の救護は県内はもとより東京都、軍関係の応援救護を受け救護所で救護に当たり、搬送は県直属輸送突撃隊車両、運送会社車両にて食料、救護物資の輸送と並行して行われた。消防庁舎の被害も神奈川、鶴見消防署をはじめ12出張所が焼失し、昭和20年8月15日の終戦時残った消防庁舎は7消防署21出張所であったがこのうち2出張所が米軍に接収された。


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 昭和20年12月には神奈川県警察部警備課から消防係が独立し、その年の救急自動車の配置署は山下、神奈川、鶴見、川崎、横須賀消防署に各1台の5台であった。



8 自治体消防
           
 昭和23年12月23日、法律第二二六号が成立し、翌年3月7日施行され自治体消防が発足し、市町村が消防の事務を担当することになりました。同年7月24日、法律.第一八六号で消防法が成立し、救急が法制化されました。

 消防法成立後の14年後、昭和37年5月4日消防審議会会長から消防庁長官あて「消防機関の行う救急業務に関する答申」に基づき昭和38年4月15日、自消甲発第22号「消防法の一部を改正する法律の施行について」により、救急業務の定義に関する規程が消防法第二条に規定された。



9 救急業務の法制化

(1)従来消防機関の行う救急業務は、地方自治法の規程に基づき行われていた。
(2)一部の市町村が任意に条例、規則又は訓令により実施してきた。
(3)一般的に高く実績を評価された。
(4)交通事故を含む各種災害及び事故が増加してきた。
(5)人命尊重の見地から制度の確立が急務であった。

 このようなことから消防機関の行う救急業務を法制化して救急体制の整備を図り消防法中に新たに「救急業務に関する規程」が設けられた。



10 政令で定める事故の範囲

 消防法施行令の一部改正(法律第八十八号)で公布され昭和39年4月10日から施行され、政令で定める事故の範囲が次のように示された。

(1)屋内で生じた事故
(2)医療機関その他の場所に迅速に搬送する必要がある傷病者
(3)他に適切な搬送手段がない場合

 この他にも「救急業務を行わなければならない市町村の基準」が人口によって定められ更に、自治大臣の告示により「救急隊の編成基準」「救急隊の装備の基準」が示された。消防の事務は、地域住民に密着した事務であるために市町村が担当することになったものであるが。しかし、市町村の財政事情などのために、消防体制に格差が生じたのもいがめない事実である。特に、救急体制については昭和39年の「救急業務法制化」が行われた年、214市町村が実施しているにすぎなかった。救急業務は、交通事故を主体としその他の事故について規程されていたが、急病については明確な規定はなかったのが事実である。しかしながら昭和38年の横浜市の統計でも48%が急病であり、10年後の昭和48年は約60%、更に10年後の平成5年は57%が急病である。



11 急病取り扱いの法制化

 急病が法律的に救急業務の対象になったのは、昭和61年消防法及び消防組織法の一 部改正する法律(法律第二十号)により、救急業務の対象に、事故以外の事由による傷病者で政令で定めるものが加えられたことを受けて、当該事故以外の事由として、

(1)生命に危険を及ぼし、又は著しく悪化するおそれのあると認められる症状を示す疾病
(2)当該傷病者を医療機関その他の場所に迅速に搬送するための適当な手段がない場合
(3)生命に危険を及ぼし、又は著しく悪化するおそれのあると認められる症状を示す疾病による傷病者のうち、医療機関その他の場所に緊急に搬送する必要のあるもの

 以上が新たに救急業務の対象になった。
すなわち、今から14年前、自治体消防になってから38年後である。すでに急病については救急件数の半数を占めており当たり前のように扱っていたのである。

 横浜市における昭和61年の救急件数は、73,976件で、そのうち急病が39,0
67件、53%を占めている事実を見ても法律が後からついてくると言う感じがいがいなめない事実である。更に、応急処置についても法律的に明記されたのは、昭和53年7月1日〔消予第百十二号)にて、「救急隊員の行う応急処置の基準」が告示された。

 応急処置についても救急隊ではすでに行われておりましたが、基準がないために地域によって統一を欠き、救急隊員の行う応急処置が国民の日常生活に深く定着するとともに、一層の充実を期待し、的確な応急処置が益々必要とされた。



12 横浜市の大事件

 当時、横浜市で大きな事件がありましたので4件ほど紹介します。

(1)桜木町電車火災事故

 昭和26年4月24日、桜木町電車火災事故、当時の電車は木造で(写真参照)一旦火災になると大惨事になりました。

 ・焼死者  107人
 ・重軽傷者  81人                           

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(2)東洋化学爆発事故

 昭和34年11月東洋化学爆発事故、この時消防では誘爆防止の決死隊を編成し災害の鎮圧に当たった、消防決死隊に叙勲が送られたとの記録があります。

 この事故については、小説家、斉藤栄が取り上げています。
 ・死者      3人            
 ・傷者      560人
 ・民家の被害 5,000棟



(3)火薬爆発
                              
 同年12月、神奈川区子安通りで火薬を積んだトラックが爆発した。
 ・死者      4人
 ・傷者      99人
 ・民家の被害 1,040棟


                           
(4)横須賀線二重衝突事故
                           
 昭和38年11月9日、午後9時44分、横須賀線二重衝突事故(鶴見事故)が発生した。脱線した貨車に横須賀線の上下電車と三重衝突事故で、救出作業に18時間を要し、市内に救急車が11台ありましたが(1台が予備車)この事故に10台が出場しため、市内の救急車が全隊出場したことになります。


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 ○人的被害    
  ・死者  161名
  ・重傷  54名
  ・軽傷  33名

 ○横浜市  468名
  消防局  369名
  市庁関係 39名                        
  消防団  100名

 ○神奈川県警 994名
 ○国鉄職員  250名
 ○自衛隊子安駐屯部 64名
 ○米軍関係 12名
 ○医師、看護婦 40名

 ○消防局
  ・救急車  10台
  ・消防車  18台
  ・指揮車  12台
  ・消防団   1台

 ○警察本部  145台
 ○国鉄依頼車  5台

 この事故で1,828人が救助に当たった。(救急隊の搬送人員は不明)
(写真参照)


                                        
13 救急医療対策整備事業

 昭和52年7月6日、「救急医療対策実施要綱」が示され、休日夜間救急センター、休日等歯科診療所、在宅当番医制 二次救急医療体制(救急輪番制)、救命救急センター等が整備され、救急医療体制が法律上整ったが、実際は「たらい回し」と言われる、診療拒否が行われており病院を何軒も回って診療をお願いする救急隊の姿が日常茶飯事のように見受けられました。特に、小児科、耳鼻咽喉科、産婦人科、多発外傷等は夜間診療で拒否されるケースが多く、大都市横浜と言えども受け入れ医療機関を探すのに、大変な苦労が在りました。

 診療拒否の理由は「医師不在」「ベット満床」「手術中」「重症患者扱い中」「科目外」等々様々な理由で断られましたが、救急隊は「拒否」することは出来ませんし、科目も選ぶことも出来ません。内科、外科、循環器、小児科、産婦人科等あらゆる科目に対応しなければなりません。

 そんな苦労にも耐えて、先輩達は地道な救急活動を重ね、国民の信頼を得たおかげで、現在のような救急医療体制が出来たわけです。勿論、自治省、厚生省、医師会、病院協会等々沢山の方々のご理解とご努力が在っての事ですが、新しい法律が制定された。



14 救急救命士法

 平成3年4月23日(法律第三六号)で救急救命士法が制定された。更に、「救急隊員の行う応急処置の一部改正について」平成3年8月5日(消防救77号)で応急処置の拡大により、11項目の処置が行われるようになった。救急隊員の資格によって行われる処置が定められており救急I課程(135時間)、救急II課程(I課程修了者で115時間)、救急標準課程(250時間)前課程修了者で2000時間又は5年以上の救急経験者で835時間の課程を修了者、更に厚生省の行う国家試験に合格した者が救急救命士となる。


                       
15 救急救命士法の制定背景
       
(1)急病や交通事故で救急医療機関に搬送される傷病者数が増加している。
(2)人口の高齢化、疾病構造の変化(虚血性心疾患、脳血管疾患等の呼吸不全患者の増加
(3)交通事故等外的要因等による心肺機能停止状態で医療機関に搬送される患者の増加                        
(4)救急隊が情報を得て現場到着し、患者を医療機関に収容するまでの時間が平均21.7分(その内情報を得てから現場到着まで5.7分。この時分は救急医療体制検討会設立当時の時間)この時間に医療行為を施し、少しでも多くの傷病者を救命するため
(5)救急隊の行う応急処置を拡大し、救急救命士に高度な救命処置をさせること。
(6)救急救命士に高度な救命処置(半自動除細動器による除細動、静脈路確保のための輸液、食道閉鎖式エアウェイー及びラリンゲアルマスクによる気道確保)等の医療行為を実施させることにより救急現場から医療機関までの間、医療の空白をなくす。

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