はじめまして。横浜市救急救命士会の会長を務めております、吉田茂男と申します。
平成23年3月11日に発生した東日本大震災により被災された各地の皆様にお見舞い申し上げるとともに、消防業務中に御殉職された消防職団員の皆様に深く哀悼の意を捧げます。
当会の会員も、被災地における捜索救助活動等に従事させていただいたところですが、今般の災害により被災された皆様の安全と御健康をお祈りするとともに、原発施設の早期安定化と、被災地域の一日も早い御復興をお祈り申し上げます。
さて、冒頭のページにも記載がございますとおり、当会は平成4年11月、本邦で最初に結成された救急救命士による任意団体で、救急救命士法の制定後、救急救命士の運用開始とほぼ同時期に結成されました。
その当時は、救急救命士達が相互に情報交換し、切磋琢磨するといった場が無かったことから、自らの知識や技術を高めるために結成された、救急隊員・救急救命士のための、いわゆる勉強グループです。
さて、設立当時と比べますと、現在では、救急救命士を取り巻く環境は大きく変化しました。メディカルコントロール体制の確立や救急救命処置の拡大など、時代の推移や国民ニードの変化とともに、市民の皆さまの期待や信頼に応えるため、私たちは今後ともさらに大きく成長努力していく必要があります。市民の皆さまの安全と安心のために、私たちは今後とも自主的努力を惜しまずに前進してまいります。どうぞよろしくご理解、御協力を賜りますようお願い申し上げます。
寄稿「東京マラソン2007 奇跡の生還」
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東京マラソン2007。出場者数は約3万人。事実上、アジア最大のマラソンイベントとなった。
2007年2月18日(日)、東京マラソンの第1回目の大会が開催された。東京都知事は「この大会で死者は絶対に出さない」と言ったと聞く。すべての関係機関は東京の威信にかけ、「本気」で対応にあたったことだろう。
今回、私はフルマラソンのランナーとして参加したが、コース上から見てもその「本気」ぶりがうかがえた。私は一人のランナーに過ぎないので、詳しいことは 大会事務局に譲るが、コース脇などに44台のAEDを設置し、そのうちの4台は救急救命士の学生ボランティアらが自転車に積載してコース上で警戒にあたっ たという。学生ボランティアらの人数は約70人で、彼らの指揮者は携帯電話で連絡や指示を行うという周到ぶりだ。
また、出場選手とともに医師・ 看護師のボランティア約100人が黄色いベストと赤い風船を付けて伴走し、不測の事態に備えた。沿道には救護所が多数あり、脇道では救急隊や消防隊が警戒 にあたった。マラソンを走りながらもついついそのへんに目が行ってしまったのは、自分が消防組織に身を置いているための性であろう。
フルマラソンは過去3回の経験があるが、記録はいずれも4時間台と遅い。フルマラソンは10年以上ぶりだ。今回は練習不足で自信がなかったが、自分の東京マラソンを楽しみたいと思った。
スタート時の気温は5度。冷たい雨だ。スタートラインを踏み、順調に走り始めたが、コースなかばで足が故障し、ペースダウン。そのうち痛みのため走れなく なった。まあ完走できればいいかと沿道の応援を楽しみながら、大会運営体制などを観察しつつ、走ったり歩いたりを繰り返した。
ゴールまで残り1キロを切ったころ、前方で異変が起こった。ランナーが倒れたのだ。救急救命士の私の体はそのとき自然に動いていた。傷病者はすでに心肺停止状態であった。
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大会スタッフの方にAEDの手配を頼むと同時に、ほかの方に胸骨圧迫(心臓マッサージ)を頼み、自分は、口対口(Mouse to Mouse)による人工呼吸を行った。
1分もたたないうちにAEDが届いた。予想外の早さにびっくりした。除細動電極をセットしAEDの解析を行ったが、当初は除細動が不要な心電図であった。 CPRを開始して2~3分が経過し、心筋等の酸素化が図られたころ、AEDが反応した。間髪を入れず除細動を1回行い、さらに2分ほどCPRを続けたところ、自己心拍が再開した。その後、自発呼吸が出るまで、バッグバルブマスクによる人工呼吸を続けた。
程なくして自発呼吸も出現し、さらには呼びかけに応ずるほど意識も回復。その頃、PA連携の消防隊が到着した。
仕事柄、日常から心肺そ生に従事しているものの、これほど短時間で意識まで回復する傷病者はそう多くはない。これもひとえにAEDの効果的な配置と運用が奏功したものと考える。
AEDという医療器具は絶大な効果を持つ。しかし、これをいつ誰がどう使うかをよく考え、計算して計画することが最も重要なのである。AEDが届くまでは絶え間ない胸骨圧迫を続けるしかないのだから。(2007年2月 吉田著)

上記の寄稿文や新聞報道は、私が一般ランナーとして東京マラソン(第1回目)に出場した際の出来事です。
スポーツ中の突然死で最も多いのは、疫学的にも「ランニング」とされております。
そこで、この貴重な経験を踏まえ、地元の横浜市で毎年開催されている横浜マラソンにおいて、救急救命士の経験や技術を生かして、ランナーの方々を守る活動は出来ないものかと考え、横浜マラソン大会事務局のご理解を得て、同年2007年11月に開催された横浜マラソンから、横浜市救急救命士会が正式後援団体となり、メディックフォースと称する救命救護ボランティア活動を始めました。
下記の新聞記事は、その時の出来事を報じたものです。横浜市救急救命士会は今後とも、参加される皆さまの安全と安心に寄与するため、社会貢献活動を推進してまいります。

